お年よりの中には、日枝大神社のお祭りを竹の子祭という人もいます。昔 は温室栽培などありませんでしたから、五月初旬にならないと初物が取れません。ちょうどお祭りの頃になると、よい筍が取れますのでお祭りにはた くさん、奉納され神前にかざられました。そんなことから、竹の子祭と云われたようです。
確かに日枝大神社のお祭りは昔から雨が多いように記録されています。二 日間の中どちらか、たとえわずかでも雨が降ることが多く、両日天気に恵ま れた時でも前後は大雨となっています。
昔は氏子三ヶ村がほとんど農家でした。お百姓さんにとっては雨露の恵み は大切で農作物も五月は成長期で、若葉も色づき青々としてきます。地方では日照り続きに雨乞祭をして祈るところもありました。その点小田村はそ の必要がありません。これも山王さんのお陰と喜ばれたようです。筍も一雨ごとに成長し、竹の子祭の名の起こりもこの辺にあるのかも知れません。今 日では公害に汚れた新緑がこの期間の雨で洗い流され、お祭を境に一段とはえ、さわやかな気分になるのも御新徳のひとつかとも思います。
これは一口にあっけなく終わったという意味もあるようです。年に一度のお 祭り、今と違って他に娯楽のない村人には一番の楽しみだったので、指折り数えて待ちに待ったお祭りも、たった二日間で終わってしまうので、あっけ ないということでしょう。しかしこれにはもうひとつの口伝えがあります。それは日枝大神社が村ヶ村の総鎮守で、そのうちの菅沢村は二ヶ村(小田村 と下新田村)と違って離れていたため、村人が毎日お詣りすることができません。そこで別社をたてました。その社を幣の宮といいます(現在はありま せん)。お祭りのとき神社神輿が三ヶ村を一巡して最後に幣の宮で納めることから、面白可笑しく幣を屁にもじって云い伝えられたともいわれます。